ベイズ統計学による心理学研究のすゝめ(2)

確率の主観的解釈

ベイズ統計学の枠組みに対するもう1つの批判点は、確率の解釈についてです。フィッシャーをはじめ、ネイマン、ピアソンらは、データを何度でも繰り返し得られる状況を考え、その極限、つまり繰り返し回数を限りなく大きくした場合の確率を、考慮の対象としました。例えば、さいころを振るという試行は、何度でも同じように行うことができそうです。そこで、「さいころを振って1の目が出る確率」とは、10回、100回、1000回……とさいころを振る回数をどんどん増やしていったときの、1の目が出る頻度の極限であると考えたのです。これを確率の頻度論的解釈といいます。頻度、つまり多数回繰り返したうちにそのことが生じる割合の極限として、確率を理解するのです。

しかし、確率の頻度論的解釈の問題点は、多くの現実場面で実際には使えないことです。理想的なさいころの状況と違い、現実世界で起きていることの大半は、一度きりなのです。例えば、「明日の東京での降水確率」を考えてみましょう。降水確率は天気予報などでおなじみですが、明日という日はこれまでのどの日とも違う、ただ1回限りの日です。「明日と同じ日を何度も繰り返す」ことはできないでしょう。したがって、頻度論の立場からは、明日の降水確率という量は、解釈することが困難になってしまいます。降水確率だけでなく、現実に私たちの関心がある多くの問題は、同じことを何度も反復することが難しい、もしくはできないのです。

一方、多くのベイズ統計学者は、確率を単に「確かさ」を数量化したもの、別のいい方をすれば「信念の度合い」だと解釈します。これを、頻度論的確率と対比して、主観確率といいます。「信念の度合い」というと非常に個人的で科学とは相容れないものに感じられるかもしれません。しかし、これは応用の仕方に依存し、たしかに「Aさんが固有にもつ信念」として利用することもできますが、より広く「私たちが一般にもつ確かさの度合い」として利用することもできます。そして、後者の使われ方が実際には大半です。主観確率の考え方のポイントは、多数回の繰り返しが想定できない場面においても、確かさを量的に表す共通の単位として確率を使おう、ということなのです。これにより、一回性の事象に対しても、多数回の繰り返しができる状況と同様に、統計学が扱うことができるようになります。統計学の適用範囲が、現実の問題へと大きく広がるのです。

しかし、フィッシャーはこうした利点に目を配らず、主観確率がもちうる主観性を強く批判しました。彼は頻度論の枠組みで、有意性検定という、データによって理論や仮説を定量的に評価する枠組みを作りました。また、ネイマンとピアソンは帰無仮説検定という、2つの仮説から1つを選ぶ枠組みを確立しました。こうして完成した頻度論に基づく仮説検定の枠組みが、20世紀の、心理学をはじめ諸科学のデータ分析を支配したのです。

「不死身の理論」

しかし、ベイズ統計学は息絶えてはおらず、その研究は脈々と続けられていました。そして、特に20世紀の終わり頃から、再び息を吹き返し、大きな盛り上がりを見せました。このような経緯から、ベイズ統計学のことを不死身の理論(The theory that would not die)とよぶ人もいます。

なぜこの再興が生じたのか。そして、再興したベイズ統計学は上記2点の批判を、どのように解決したのか。こうした点を、次回は見ていきたいと思います。

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(→続く;近日公開予定)

文献・注

(1) フィッシャー(Ronald Aylmer Fisher:1890-1962)。イギリスの統計学者。

(2) ネイマン(Jerzy Neyman:1894-1981)。数理統計学者

(3) エゴン・ピアソン(Egon Sharpe Pearson:1895-1980)。イギリスの数理統計学者。父は統計学者のカール・ピアソン。

(4) 特に海外では、定刻より早くバスが来てしまうこともあるようです。要注意ですね。

(5) http://www.ForestWander.comより。


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