
アイデンティティ発達の心理学
越境する実証的研究の新潮流
発行日: 2026年4月10日
体裁: 四六判並製280頁
ISBN: 978-4-908736-46-9
定価: 2600円+税
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内容紹介
新たな地平を切り拓く
アイデンティティを自己や性格と関連づけて統合的に整理し,長期縦断データに基づく近年の実証的研究を丁寧に紹介。日本の青年や若年成人のアイデンティティ発達の特徴を国際比較の視点から浮き彫りにし,アイデンティティの形成メカニズムや実践的な広がりも紹介する。
目次
第Ⅰ部 アイデンティティ研究の理論
第1章 自己、アイデンティティ
第2章 アイデンティティの発達的視座
第Ⅱ部 アイデンティティ発達の実証的研究
第3章 アイデンティの感覚とアイデンティティ・ステイタス――アイデンティティ研究のモデルと測定⑴
第4章 五次元モデルと三アイデンティティ・プロセスモデル――アイデンティティ研究のモデルと測定⑵
第5章 世界各国におけるアイデンティティ発達の様相
第6章 中学から大学にかけてのアイデンティティ発達――日本人青年・若年成人のアイデンティティ発達の様相⑴
第7章 職業選択、雇用形態とアイデンティティ発達――日本人青年のアイデンティティ発達の様相⑵
第Ⅲ部 アイデンティティ研究の発展
第8章 アイデンティティ発達に関わる心理的諸要因――Big Five特性、親からの心理的自立、精神的健康
第9章 アイデンティティの意識、感覚のメカニズムに迫る
第10章 多様性と実践性から捉えるアイデンティティ発達研究の展開
はしがき
大学を卒業した後、自分はどんな人間になるのだろうか―。これは、私が学部生の四年間、ずっと抱え続けた問いであり、悩みでもあった。大学進学を当たり前の道と考えていた私にとって、将来のビジョンはせいぜい「安定しているから公務員になろうか」という程度のものでしかなかった。それと同時に、高校までの経験や大学生活を振り返っても、社会に出ていく自信もなければ、必要なスキルが備わっているとも思えなかった。なぜみな、何の迷いもないかのように就職活動をし、社会へと出ていけるのだろう―私はそのことが不思議で仕方なかったのを覚えている。
大学受験の勉強にあまり興味がもてなかった私は、テストの点数から解放されてもっと自由に学んでみたいという思いが強くあった。何か、自分が本当に興味をもてる学問を見つけたい。そんな思いから、哲学、経済学、社会学に関する書籍を手にとるようになった。そして、心理学に興味をもち始めた矢先、偶然出会ったのが大阪教育大学の石橋正浩先生であり、先生から『さまよえる青少年のこころ』(谷・宮下、二〇〇四)という一冊の本を渡された。その中に、「アイデンティティとは、自分が求めるものと社会が求めるものの一致と、そこから生じる自信」といった内容が書かれていた。それはまさに、当時の私が感じていた悩みに深く関わる内容であり、同時に、その解決の糸口がそこに示されているように思えた。しかし、その一冊を読んだからといって、アイデンティティについてすべてを理解できたわけでもなければ、未来のビジョンが鮮明になったわけでもない。ただ、私はもっと深くアイデンティティについて学びたいと考え、神戸大学大学院の修士課程に進学した。それは結局のところ、悩みを先送りにしていただけだったのかもしれない。大学院に進んだ後も迷いは消えず、公務員試験を受け、就職しようと考えていた時期もあった。
そんなとき、何気なく手にとった本が京都大学におられた溝上慎一先生が書かれた『自己形成の心理学―他者の森をかけ抜けて自己になる』(溝上、二〇〇八)である。その一冊を読み進めるうちに、私はアイデンティティ研究が心理学のみならず、哲学や社会学とも密接に関係しながら展開されていることを知った。とりわけ、理論を架橋しつつ自己論をダイナミックに展開していく溝上先生の知的スタイルに強く惹かれ、アイデンティティ研究をもっと深めたいと心から思い、京都大学大学院の修士・博士課程に進学することを決めた。このとき、ようやく私は「研究者として生きていく」という決断を下すことができたのだった。
振り返れば、自分の進むべき道を見出すまでに、学部四年間、大学院浪人一年間、大学院修士二年間と、じつに七年の歳月を費やしていたことになる。いまとなっては「ずいぶん遠まわりをしたものだ」と感じることもあるが、同時に、その七年間の経験が私にとってアイデンティティ研究へと向かう確かな自信を育んでくれた。そしてその自信は、研究への取り組み、論文としての成果、さらには博士学位の取得という形に結実し、社会に出ていくうえでの拠り所となった。私にとって、専門性を身につけること、そして社会的な承認を得ることは、「私が私であること」を支える根幹であった。そのような実感をもって、私はいまもなおアイデンティティの研究を続けている。
本書は、これまで私が共同研究者とともに取り組んできたアイデンティティ研究をまとめたものである。そして、これからアイデンティティを研究しようと考えている大学生、大学院生、若手研究者に向けて書かれたものである。アイデンティティに関する著作は、心理学や社会学を中心に多数存在し、とくに日本においては、精神分析理論を背景としたエリクソンの研究をはじめとして、優れた文献が数多く存在している(たとえば、谷・宮下、二〇〇四; 白井・杉村、二〇二二; 鑪、一九九〇; やまだ、二〇二一)。ぜひ、それらもあわせて読んでほしい。そのうえで、本書では独自の視点を大切にしながら、以下の三つの点にこだわって執筆を進めた。
第一に、アイデンティティ、自己、Bⅰg Five特性といった類似の概念を統合的に捉えた理論体系をもとに、アイデンティティの発達を論じることである。これらの概念はすべて人格全体としてのパーソナリティに関わるものであるが、それぞれ個別に研究されてきた経緯があり、密接に関係しながらも接続されていなかった。本書では、第Ⅰ部「アイデンティティ研究の理論」(第1章~第2章)において、溝上(二〇〇八)およびマクアダムズ他(とくにMcAdams & Zapata-Gietl, 2015)の理論を踏まえながら、本研究が依拠する理論的枠組みを提示する。
第二に、筆者らが行ってきた日本人青年および若年成人を対象とした実証的研究の成果を可能なかぎり紹介することである。日本では理論的議論が先行する傾向にあるが、個人差とその発達過程を縦断的に捉えた研究は多くない。しかし、二〇〇〇年代以降、長期的な縦断データに基づく研究が「個人差研究の」スタンダードとなりつつあり、アイデンティティ研究においてもこの潮流は確実に進んでいる。第Ⅱ部「アイデンティティティ発達の実証的研究」(第3章~第7章)では、筆者らがこれまでに収集・蓄積してきたデータをもとに、日本人青年および若年成人のアイデンティティ発達の特徴を描き出す。
第三に、アイデンティティ研究の理論的・実践的な広がりを紹介することである。アイデンティティ研究は、従来の思想的・哲学的議論にとどまらず、しだいに二つの方向へと発展してきた。一つは、アイデンティティの形成メカニズムを明らかにし、その科学的精度を高めようとする方向性であり、もう一つは、多様性や実践性を重視し、現実世界での応用を志向する方向性である。これらの研究は二〇一〇年前後から国際的に大きく展開しているものの、日本ではほとんど紹介されてこなかった。第Ⅲ部「アイデンティティ研究の発展」(第8章~第10章)では、こうした新たな潮流を紹介し、アイデンティティ研究がどのように進展し、「机上の学問」を越えて、エビデンスに基づいた実践的知見を提供する研究へと発展しているのかを論じる。
とりわけ、第Ⅱ部、第Ⅲ部においては、研究のデザインにも紙面を割きながら世界各国の研究を紹介した。アイデンティティ発達研究は多様な方法を用いて進められている。これからアイデンティティを研究しようと思っている読者には、これらの研究のデザインを参考にし、多様な発想で研究に取り組んでもらいたい。
なお、本書を読み進めるにあたって、本書で用いる発達区分について触れておきたい。人の生涯をどのように年齢区分するかについては議論があり、統一した見解はない。とくに、青年期に関しては、日本と欧米で区分の仕方が異なっている。本書では、国際的な研究を中心に紹介するため、メフタ他(Mehta et al., 2020)に基づいた区分を用いる。すなわち、青年期(adolescence; 一一~一七歳)、成人形成期(emerging adulthood; 一八~二九歳)、成人確立期(established adulthood; 三〇~四五歳)、中年期(midlife; 四六~六四歳)とする。本書ではこの中でも青年期(青年)と成人形成期(若年成人)を対象とした研究を中心に紹介する。
最後に、私はこれまで、研究に迷ったとき、あるいはアイデンティティに迷ったとき、そのたびにアイデンティティに関する書籍を手にとり、みずからの悩みを整理し、理解を深めてきた。そしてその理解の深まりが、新たな研究へのモチベーションとなってきた。この一冊が、同じようにアイデンティティに関心をもち、悩みながらも問い続ける読者にとって、その悩みを整理し、知的好奇心を満たす一助となり、さらなる探究への入り口となればこれほど嬉しいことはない。
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