内容紹介
やわらかく多層的な理解に向けて
「治すべきもの」「症状」ととらえられがちな「こころのやまい」。1つの現象としてとらえてみると,その振る舞いや取り巻く動きに視野が広がってゆく。こころのやまいに関心を寄せる心理職,大学院生・学部生,一般の方に。
目次
第1章 こころのやまいという概念の歴史
第2章 バイオサイコソーシャルモデルから見えるもの
第3章 バイオから見えてくるやまい――やまいの理解における「客観性」と「主観性」
第4章 サイコ,ソーシャルから見えてくるやまい――忘れがちなもう一方にも目を向けて
第5章 社会システムの中で見えてくるやまい――やまいという「もの」と「こと」
第6章 文化,進化から見えてくるやまい――場所と時間と,個人差と
第7章 時間から見えてくるやまい――症状と自己
まえがき
精神病理や症状は一種の現象である。出来事,人間関係,体の調子や,それらに対するこころの働きによって現れてくる心理的な現象である。ここで「症状」ではなく「現象」という言葉をあえて使用するのは,「症状らしきものをネガティブなもの,修正すべきものとはじめから決めつけない」という意思の表明である。
こんなに人づき合いがうまくいかないのは自分に障害があるからじゃないだろうか,とか,全然やる気が出なくて何もできないから自分は変になってしまった,という思いを抱くことはよくあるのではないだろうか。人は自分の中で起こってくる感情や考え,できないことに違和感や苦痛を感じたり,人と比べたりしてしまう。でも,何をもって病気であると見なすことができるのであろうか? それはどの人間にも備わっているこころの仕組みということはないのだろうか? だとしたらそれはやまいと言えるのであろうか? これらは案外難しい問題である。どこまでが健康で,どこからが病気なのかという問いは,専門家に投げかけてもなかなか答えられるものではない。その色分けの難しさをわかっていたとしても,それは病気だと誰かが口にするのを一度耳にしてしまうと,自分のもっている現象が病気にしか見えなくなることもある。
こころのやまいとはきわめて複雑な構成概念である。どのような視座から眺めるかによって異なる側面が見えてくる。それに見合った多層的なとらえかたをしてみる必要がある。こころのやまいという現象の仕組みを明らかにし,よりよい治療法を発展させてきたのが臨床心理学や精神医学であるが,本書はこうした知識というよりは,どちらかといえば,この現象やそれを理解するための視座や枠組み,そしてそれぞれの視座や枠組みの優れた点やそれによって見えなくなる点,こころのやまいをめぐって生じてくることなどを整理して提供するものである。つまり本書は答えを与えるものではなく,自分や他者を理解するための問いを投げかけるものである。
こころのやまいに見えるもの=症状=治すべきもの,と急ぎすぎると,現象の振る舞いやそれを取り巻くさまざまな動きに目が届かなくなる。そのため,この本では「症状」「病気」「異常」というインパクトのある言葉をあまり使わないようにする。そして自分や他者が変だと思いがちで,苦しみが伴いがちで,こころが原因となったり,こころや行動に現れたりする現象をひとまとめにして「こころのやまい」とぼんやり呼ぶことにする。厳密には,よく用いられる精神障害の診断基準(アメリカ精神医学会のDSM―5―TRや世界保健機関のICD―11)に存在しないものを「こころのやまい」に含めてしまうかもしれないが,何が精神障害なのかという知識ではなく,自分や他者がやまいと思いがちな現象について,多層的な理解に至ってもらうことに主眼があるので,そこにはあえてこだわらない。それよりも,現象から一度距離をとって眺めようとする姿勢は,治療者にとっても,患者さん自身にとってもよいものなのではないかと思う。
この本が届いてほしいのは,公認心理師や臨床心理士などの心理職やそれを目指す大学院生・学部生,そして「こころのやまい」という響きに何かを感じる一般のかたがたである。大学院生や学部生は臨床実践や研究活動の振り返り,自身のこころについての自己理解など,こころのやまいを基軸にしたなかでの理解の幅を広げていただきたい。他職種を含め,すでに資格をもっているかたは,こころのやまいに関する自身の理解の仕方を振り返ってみてほしい。一般のかたは高校生以上を想定しているが,臨床心理学の雰囲気を知ったり,自分のこころを眺めてみたりするきっかけになればと願っている。
この本には,たびたびクライエント(client: 相談に来るかたの意: 本書ではCl.と表記する)の語りがさまざまに表れてくる(医療の文脈が想定される場合は,「患者」「当事者」などと表現することが多いが,本書ではとくにこだわらない)。多くはうつをもつ女性Cl.を想定しているが,すべてが同じ人物というわけではない。そして,もし可能であれば,この語りの部分に自分の主訴(第2章)などを書き綴ってみてほしい。それに続く視点や議論にならって,自分のことをさまざまな角度から考察してみてほしい。ただし,この本は治療を目標としていないため,日常生活に影響が出ていそうなら無理せず相談機関を訪ねてほしい。また,登場するセラピスト(therapist: 治療者の意: 本書ではTh.と表記する)も,必ずしも同じ人物でない(文脈によって「専門家」「治療者」などと表現することがある)。
なお,本書で扱う専門用語は多岐にわたり,すべてに丁寧に説明を与えることが困難であった。わからないことがあれば,辞書や他の書籍を調べてみてほしい。また,個々の研究を深く知りたいかたは,学術論文の検索サイトであるGoogle ScholarやPubmed,CiNiiを使って調べてみることをお勧めしたい。また精神医学的診断名は可能な限りDSM―5―TRの名称に沿うようにしたが,わかりやすさを優先して古い名称や総称が残っているところもあるかもしれない。あらかじめご了承いただきたい。
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