ベイズ統計学による心理学研究のすゝめ(1)

冒頭で挙げたオーブンの例は、ベイズの定理を説明するうえで適切だと胸を張って言えるものではありませんが、私の冷や汗経験の反省かたがた、この例を引き続き使わせていただくことにしましょう。このとき、私が新しく入手した(……というか、入手してしまった)情報は、「私は今朝オーブンの電源スイッチを切ったか、切らなかったか」という不確実性のある変数について、「今朝は切らなかったのではないか」と考えたことです。これが今回のデータに対応します。一方、私は日々の生活の中で、使い終わったオーブンに特別な注意を払うことなく電源スイッチを切っています。これはデータを得る前に私がもっている、事前確率に対応します。そして、今回のデータを得たことによって、オーブンの電源を実際に切らなかった確率が合理的にはどのように更新されるのかを、ベイズの定理は教えてくれるわけです。

使い終わったオーブンのスイッチを切らないという事前確率がそもそも小さいため、「今朝は」切らなかったかも、というデータを得た後でも、スイッチを実際に切らなかった合理的な事後確率は依然としてそう大きくはなりません。それにもかかわらず、基準率無視の認知バイアスをもつ人間(私です)は、事前確率を軽視し、今朝はスイッチを切り忘れたかもしれないと必要以上に心配になってしまうのです。

ところで「今朝オーブンの電源スイッチを切らなかった確率」は、「オーブンの電源スイッチを切らなかった確率」に対して、それが「今朝」であるという条件を付加したものです。このように、特定の条件が付け加えられたもとでの確率のことを、条件付き確率といいます。そして、条件付き確率をその意味を考えて自然な形で数学的に定義すると、ベイズの定理はそこから容易に導くこと、つまり証明することができます。

新しいデータが得られたときに、事前確率を事後確率にどう更新したらよいのか。その数学的で合理的な答えは、ベイズの定理を使うことなのです。そこで、このベイズの定理を使って、新しいデータ(情報)が来るごとに、不確実な事柄についての確率を更新していこう。不確実性を伴うどんな問題に対しても、このようにベイズの定理を用いてデータから確率を更新していこう。これが、ベイズ統計学の考え方です。

ベイズ統計学の2大原則を紹介しましょう。それは、①現実問題の「不確実さ」を確率で表現すること、②データに基づきベイズの定理によって確率を更新することです。確率は、0から1の間の値をとり、独立事象であれば足し算ができるなど、数学的な取り扱いの仕方がくわしくわかっています。私たちが日々向き合う、さまざまな世の中の不確実さを定量的に扱うにあたって、確率を使うことは最も自然な方法といえるでしょう。また、ベイズの定理は容易に証明できる、新たな情報に基づく確率の更新の仕方についての定理です。しがって、このベイズ統計学の2大原則は、おそらく多くの方に納得してもらえる、自然な考え方だということができると思います。

ベイズ統計学はほぼ20世紀を通して、主流というよりはむしろ傍流、場合によっては異端の扱いでした。中には、あまりよく知らないけれど、ベイズ統計学は主観的で、あまり科学的とはいえないのではないかと感じている人もいるかもしれません。しかし、これはむしろ逆なのです。ラプラスがさまざまな分野の問題に一貫してベイズの定理を用いて取り組んだように、ベイズ統計学は、2つの自然な原則を、どんなデータ分析場面にも一貫して適用していき、認知バイアスのような非合理的な推論を避けることのできる、私の師匠の言葉を借りれば「骨太」で一貫した体系なのです。

それでは、そんなベイズ統計学が、どうして長らく傍流に甘んじていたのでしょうか。そして、なぜ現代、再び注目され利用されてきているのでしょうか。次回はこのあたりの話題を、心理学との関連にも焦点をあてつつ、見ていくことにしたいと思います。

(→第2回に続く

文献・注

(1) Wikipedia「Thomas Bayes」より。

(2) プライス(Richard Price:1723-1791)。ウェールズの哲学者、数学者。

(3) Bayes, T., & Price, R. (1763). An essay towards solving a problem in the doctrine of chances. Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 53, 370-418.

(4) ヒューム(David Hume:1711-1776)。スコットランド、エディンバラ出身の哲学者。

(5) ラプラス(Pierre-Simon Laplace:1749-1827)。フランスの数学者、物理学者、天文学者。

(6) Wikipedia「Bayes’ theorem」より。


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