心理学研究は信頼できるか?――再現可能性をめぐって(1)

藤島喜嗣(以下、藤島):

Author_FujishimaYoshitsugu藤島喜嗣(ふじしま・よしつぐ):昭和女子大学人間社会学部准教授。主要著作・論文に「自尊感情と自己関連動機に基づく推論の歪み」(村田光二編『現代の認知心理学6 社会と感情』北大路書房,2010年),「社会的影響」(遠藤由美編『社会心理学――社会で生きる人のいとなみを探る』ミネルヴァ書房,2009年)。→Twitter(@gsd9720)

2011年9月、Social Psychology NetworkのTwitterアカウント(7)からの情報で、Diederik Stapelがデータ捏造を疑われていることをつかみました。Stapelといえば、社会心理学における社会的比較領域の主要な研究者で、社会的認知や自己に関わるテキストで頻繁に引用されていました。同化と対比に関する専門書の編者もしていました。その彼が、データ捏造で大学の取り調べを受けているというのです。

かなりのインパクトでした。私個人は研究で直接的に引用することはありませんでしたが、授業では何件か彼の研究を紹介していました。論文購読を含む専門科目でも学生たちに読ませていました。それを撤回せねばなりません。知り合いの博士課程の大学院生は、Stapel論文をかなりの数引用していました。彼の研究はどうなるのだろう。2011年5月には社会的比較に関する優れた日本語テキストが刊行されており、私も熟読していました。Stepel論文がかなり引用されています。どうなるのだろう。

とはいえ、私は楽観的でした。「それは追試すればいいんだよ」。解決法はわかっていました。研究法の教科書には追試、特に、同じ研究手続きを繰り返す直接的追試よりも新しい手続きを用いて理論を検証する概念的追試が大事だと書いてあります。Stapelの論文には理論的には妥当だと思われるものがかなりありました。彼のデータがダメだったとしても、他の似たような理論から導かれたデータから対処可能だろう。ネットワーク上の1つのノードが破壊されても周囲から再生されるように、彼の捏造による欠落も補償されるだろう。そう思っていました。実際、知り合いの大学院生にはそのように伝えて、安心させようとしていました。

しだいにそれが楽観的に過ぎることがわかってきました。実は遡ること20年ほど前にも社会的認知で取り下げ騒ぎがありました。その後、その研究が追試されたという話は聞きません。出版バイアスは昔からあって、有意差のないデータは刊行されないし、直接的追試も刊行されません。風の噂で再現可能性の情報を得る、これが2011年の社会心理学界隈での方法でした。だから、その研究を信用してよいかどうかはわからないままです。噂をどうやってつかめばよいのでしょう。Twitterか?

さらには、Bem論文の話もありました。2010年刊行でずいぶん話題になっていました。学生時代に、直観とデータからの示唆とどちらを信用するかといわれたら後者だ、と教わってきました。Bem論文の掲載をしてJPSPのエディターは偉いなあと思ったのを覚えています。怪しい話もデータに関するルールがきちんとしていたら掲載せざるをえない。掲載したうえで追試しながら否定すればいいじゃん、と思っていたのです。しかし、おかしなことになってきました。追試データは論文にならないのです。直感的に怪しい、違う分析をしたら今イチそうだ、追試した人もダメだったといっている、といろいろ証拠が集まっているようでしたが、周囲で騒ぎ立てているだけの様相を呈していました。出版バイアスの見えない大きな壁がそこに立ちはだかってきました。

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そうしたら、別のところで、John Barghの研究に関わる論争が始まりました。Barghは非意識過程の巨人であり、Cognitive Monsterの生みの親です。彼の老人プライミング実験(8)による知覚−行動リンクはその核心の一つでした。その老人プライミングが単なる実験者効果だというのです(9)。ま、そういうこともあるよねと思っていたら、Barghがけんか腰の反論を始めました(10)。「他にもいろんな手続きでデータいっぱいあるし、そもそもオマエが下手なだけだし」。いやいや、両者が同じプラットフォームに立って、一緒に検証すればいいんじゃないの。データ提供して再分析したり、手続きを提供して追試すればいいじゃないの。しかし、それは実現されず、ただ罵倒し合うだけでした。

2010~2012年は社会心理学の歴史で大きく語られるであろう時代となりました。いくつかの事件が、再現可能性問題、出版バイアス、手続きの透明化と共有、というキーワードで合流し、単純だが大きな話になったのです。こういう話は「どげんかせにゃならん」話だし、みんな及び腰だったから旨味もありそうでした。それで読書会もあったし飛びついてみたのですが、みんなが及び腰だった理由がよくわかりました。とにかく大変な話で、理解も得られなければ、お金も得られない、そして制度改革も必要な話だったのです。

樋口匡貴(以下、樋口):

Author_HiguchiMasataka樋口匡貴(ひぐち・まさたか):上智大学総合人間科学部准教授。主要著作・論文に「コンドーム購入行動に及ぼす羞恥感情およびその発生因の影響」(『社会心理学研究』25(1), 61-69,2009年,共著)「ビデオフィードバック法によるコンドーム購入トレーニングの効果に関する予備的検討」(『日本エイズ学会誌』12(2), 110-118,2010年,共著)。→Twitter(@HIGUCHI_MA)

取り組みのきっかけは、2013年2月に有志で行ったPerspectives on Psychological Science(PPS)誌の再現可能性特集号(11)の読書会です。

Bemの超能力論文のような大きな話は承知していましたが、それ以上に自分を動かしたのは、より身の周りの、ひいては自分自身という半径数10 cmの問題でした。自分自身を含めた身の周りでの研究実践のあり方を考えつつあった当時の私自身にとって、PPSの再現可能性特集号の読書会で得た知識は非常に大きいものだったし、何よりも「問題のある研究実践(12)」(QRPs: Questionable Research Practices)に自分が携わり続けてきたという確信をつかんでしまったことは衝撃的でした。これから自分はどう生きていけばいいのか、どう研究をしていけばよいのか、どうこれまでのことを“贖罪”すればよいのか。こういったあたかも思春期のような感覚が(この時は大学院入学からちょうど16年!)、この問題への取り組みを自分自身に対して促すことになりました。

ただ、“研究はこのように進めるべき”“このようなやり方はすべきでない”といったある種の啓蒙的な話題の場合、往々にしてその話題に触れたときから1週間もすれば熱が冷めることが多いでしょう。しかし今回の再現可能性の話題については、衝撃を受けたそのときの、“何かをしなければ、変えなければ”という思いを感じているまさにそのときに、同じような感覚を共有できる仲間がいたことは非常に幸運でした。議論すること自体だけでも非常におもしろくエキサイティングなメンバーがいることは、私自身が再現可能性問題についての取り組みを実際に続けていこうとする大きな要素であったことは間違いありません。


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