心理学が挑む偏見・差別問題(4)

社会問題への実証的アプローチ

――心理学を学ぶ人で社会問題をやろうと思う人は少ないのでしょうか。

北村:

やっぱり社会学に行くのではないでしょうか。ただ,社会学科にしても社会問題を学びたい人がたくさんいるわけでもないと思います。社会学でも社会心理学を学んでいても,広告会社や金融会社やテレビ局に就職する人も多いですから。昔ほど,社会学と社会心理学で好みが歴然と分かれているわけでもないでしょう。授業では,「お金儲けすることが人生ではない」というようなことを言うわけですが(笑)。

唐沢:

社会心理学が扱うのは社会問題だけではないですから。心理学を専攻したからといって社会問題の解決ができるわけではないという印象を,心理学自体が与えているところはあるかもしません。

高:

最近,部落出身の当事者で部落差別について研究したいと言っている社会心理学専攻の院生がいるという噂を耳にしました。

北村:

当事者で偏見や差別の研究をしようと思っている大学院生も何人かいるようです。まだデータが十分ではないでしょうから,今回の本には参加してもらいませんでした。

大江:

大学院生くらいまでで,差別を受けていた人で研究をしている人を何人か知っていましたが,研究者として残っていないんですよね。自分自身が差別や偏見の対象になっている研究を続けるのがつらいのかなと思ったりもします。偏見や差別の研究をしていて,自分が差別対象になっているものを研究するのが一番難しい。一方で,集団間関係の研究で外集団として韓国人や中国人のことを扱っているものを,自分がファーストオーサーで論文として出すのも嫌な気にはなります。研究者側の心の問題のハードルもあるかもしれません。

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Author_oetomoko大江朋子(おおえ・ともこ):帝京大学文学部准教授。主著に,『社会心理学――過去から未来へ』(北大路書房,2015年,分担執筆),『社会心理学』(放送大学教育振興会,2014年,分担執筆),『個人のなかの社会』(展望 現代の社会心理学1,誠信書房,2010年,分担執筆)など。

唐沢:

そうかもしれないね。

北村:

若い研究者にとっては,現実的な将来のことがあるので,偏見や差別を扱ったとしても,なまなましいテーマや問題を扱うことに関する抵抗感があるでしょう。

唐沢:

心理学の分野には,あまりにリアリティのあるものではなくて,むしろ無意味つづりを題材にして,研究してくださいという世界もあるから。

大江:

なまなましい問題を扱いたかったら社会学に行ってくださいという雰囲気があるということですか。

唐沢:

繰り返しになりますが,それは心理学の中にあるイデオロギーですよ。

北村:

認知研究に関心がありながら社会的認知の研究をしているのは,無意味つづりでやりたくなくて,ソーシャルな意味のある対象で研究したいからという面はありますね。

唐沢:

実際,インパクトのある実験をしようと思ったら,実験刺激は強烈なものになりかねないですからね。ある人物を差別的に表現した場合と,そうではない場合とを比べるという実験の場合,ナイーブな実験参加者にあえて強烈なものを見せることになる。アメリカの社会心理学であれば平気かもしれませんが,日本のメインストリームの心理学では抵抗を感じる人はいるだろうと思います。

アメリカと日本の文化的な違い

唐沢:

理想的には,リアルなインパクトをもった研究を公刊できて,正当に評価されるという投稿先があればいいと思います。

北村:

画面に黒人が出てくるガンツール・パラダイム(1)は,私でも抵抗を感じます。撃ってしまいますからね。

唐沢:

えげつないと思いますよね。昔,アメリカの大学でティーチングアシスタントをしていた講義で,アメリカの白人がいかに黒人を差別的に扱ってきたか,なまなましいリンチの話などを,その教授はたくさんしていました。白人の学生と黒人の学生が並んで座っているわけですから,「お前のおじいちゃんが隣にいる人のおじいちゃんに何をしたか考えてごらん」と言っているに等しいですよね。いま考えれば,教育としてありうるとわかりますが,最初は「えげつないことを平気でするな,この国は」と衝撃を受けました。その延長線上にあることとして,日本的な考え方からすると,なまなましいえげつないことを研究でする必要があるのか,という感覚につながっているのは自分としてもわかります。日本の学界では受け入れられないものもあるだろうと思います。

大江:

日本ではそれが強いということですか。

唐沢:

そのときに自分なりに理解したのは,少なくともアメリカ社会でそれが成り立つのは,自分という一人の人格として聞いたり扱ったりしていなくて,社会問題として扱っていて,その社会の一員として考える,という認識があるからだということでした。リンチがあったことと,いまの自分自身にとってどういう意味があるかということと,切り離すことができるのだと思います。

北村:

過去の自分の行いや他人の行いと,自分の人格を切り離すわけですね。

唐沢:

「えげつないな」と感じた自分は,社会問題と人格とが溶け合っていて,そしてそれは我々日本人の世界観のいいところだとも思います。自分がたまたま日本人だからそう言うだけですが。アメリカの人の方がこういう研究はやはりやりやすいだろうなと思いました。黒人の顔が出てきたときに撃つといった課題を使った実験というのは,日本ではとてもできないでしょう。

北村:

波風をたたせてはいけないですからね。

唐沢:

また繰り返しになりますが,実証研究の題材としてリアルな問題を取り上げることがなぜ難しいかというと,一つには,人に嫌な思いをさせてはいけないとか,人に迷惑をかけないというのがベースになっているのではないかと思います。人が不快に思うかどうかが,善悪の基準になっている。それとまったく別の基準で偏見や差別の問題を扱っているところもある。まさに文化的理解の違いだと思います。


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