意味を創る――生きものらしさの認知心理学(4)

人工物の中の生きものらしさ・意味を創るということ

HAI研究の一例で生きものらしさと関係するものとして,筑波大学の大澤博隆氏による日用品や家電の擬人化についての研究を紹介しましょう(4)。私たちは実に多くのモノに囲まれて生活しています。日々の生活はモノとのインタラクションで成り立っているといっても過言ではないでしょう。大澤氏はユーザに応答する目デバイスや腕デバイスを日用品や家電に直接取り付けることでモノを擬人化して,ユーザの印象や使用感などを計測しました。その結果,例えば擬人化プリンタの場合には,プリンタの機能をよく覚えている,といったことがわかりました。

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図2 大澤氏が開発した擬人化プリンタ(5)。ユーザの位置を検出して目が動くなど,工学的に高度な技術を使って違和感のない擬人化,効果的なインタラクションを演出しています。

これを認知心理学的な視点から解釈すれば,擬人化を促す目デバイス・腕デバイスがきっかけとなって,そのモノに対して「生きもの」という意味づけを促進しているといえます。前回紹介したように,生きものとして認識されると認知資源が優先的に投資されます。その結果として,機能をよく覚えているといったことが起こったのでしょう。まさに「意味を創る」という人間の認知の特性をうまく利用した設計です。

過剰に意味づけるという私たちの認知の特性を利用すれば,身のまわりにあるモノたちをまるで生きものであるかのように感じてもらうことはさほど難しいことではありません。でははたして,このような擬人化されたモノに囲まれる環境は,私たちに何をもたらすでしょうか。

ここで1つ面白い研究を紹介しましょう。独裁者ゲームという仮想ゲームを用いた実験です(6)。どの程度「良い人」として振る舞うかを測定する実験だと思ってください。この実験を行うときに,「目の絵」を実験参加者に対して提示しておいたところ,より「良い人」として振る舞うようになったというものです(7)。ポイントは,ただそこに「目の絵」があっただけで,実際に他人に自分の行動を見られているわけではない,ということです。この研究結果が正しいのなら,擬人化されたモノに囲まれる環境では,われわれは普段よりちょっとばかり「良い人」として振る舞うことになります。

これは良いことなのかもしれませんが,その反面,常に他者の目を感じてしまい,少し生きづらいと感じてしまうかもしれません。一度「生きもの」という認識が生まれてしまえば,いくら頭でそれが生きものではないとわかっていても,その認識を消し去ることは困難です。ですので,いつも目があるのではなく,コミュニケーションしたいときだけ目があるような環境の方が望ましいでしょう。

実際に大澤氏がモノの擬人化の発展版として開発したMorphing Agency(動画3)は,擬人化そのもののあり方をダイナミックに変化させるというものです。ユーザが大人か子どもか,ユーザがどの程度その道具の操作方法を理解しているかなど,ユーザの性質に応じて擬人化エージェントの様子が変化します。また動画後半では,状況に応じて操作対象だけが擬人化するように(言い換えれば,エージェントがある道具から別の道具への乗り移ったように)目デバイスを出したり消したりしています。このように「(擬人的で)いて欲しいときに(擬人的で)いてくれる相手」を目指したデザインとなってます。

動画3 Morphing Agencyの紹介動画(8)

リアリティと生きものらしさ

人工物に生きものらしさを注入する上で避けて通れない問題が「不気味の谷」現象(9)と言われるものです。ロボット工学者の森政弘氏が1970年に提唱した仮説で,ヒューマノイドロボットをつくる際に,見た目がヒトに近づけば親しみが湧いてきますが,「ほぼヒトだけど何か違う」というリアリティのレベルに到達すると,急激に不気味さが生じるというものです(図3)(10)

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図3 不気味の谷現象の概念図。リアリティが増せば親しみも強くなるが,実物に相当近い部分では極端に不気味さを感じることがある。

「不気味の谷」現象はヒューマノイドロボットの研究者の間では広く知られた話で,2015年には不気味の谷の存在が証明されたという研究報告もありました(11)。不気味の谷を説明する理論は諸説あります。有名なところでは目や動きといった要素の間でリアリティがずれていることに起因するというリアリズム不整合説,最近では「ヒトなのかロボットなのかわからないというカテゴリの曖昧さ」が不気味さにつながるという説などが提案されています(12)。これは,認知の特性として意味を創ろうとするけれど,その意味が定まらない状況に陥っているといえるでしょう。

いずれにしても,人工物に生きものらしさを注入する際には,生きものらしさのリアリティを完全に再現することは簡単ではありません。次に紹介するように,意味を創るという認知の特性を考えれば,むしろそれは不必要なことなのかもしれません。


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