尊敬されるリーダー、恐がられるリーダー――影響力と社会的地位の2つの形(2)

社会的地位の光と陰

過去の多くの実験・調査結果をアンダーソンらが整理してみたところ、周囲の人たちから尊敬されている人ほど、主観的な幸福感が高く、心身両面で健康であることがわかりました。また、テストなどが大きなストレス源であることもわかりました。学力、体力、その他のテストでは、自分の能力が試され、結果次第では尊敬を失いかねないからだと理解されています。

ここまでは親和動機の研究と同じで問題ありません(まわりの人から好かれていると幸せで、排斥はストレス源になるのでした)。ですが、尊敬されている人はたいていまわりの人から好かれてもいるでしょう。もしかしたら、尊敬されているから幸せ・健康なのではなくて、好かれているから幸せ・健康なのでしょうか? そうだとすると、親和動機はあるけれど地位動機はないということになってしまいます。

もし好かれていることだけが大事なのであれば、同じくらいに好かれている人だけ抜き出せば、尊敬されていてもされていなくても幸福感や健康に違いは出ないはずです。ところが実際には、好かれている程度は同じくらいであっても、尊敬されていることは幸福感・健康に影響していました(実際の研究では、同じくらい好かれている人だけを抜き出すというやり方をせずに、回帰分析という統計的な分析方法を使ってこのことを検討しています)。

アンダーソンらは、親和動機と地位動機を分けるもう1つ大事なポイントに気づきました。たとえばのどが渇いたら私たちは水を飲み、お腹がすいたら食べ物を求めます。このように違う行動と結びついた欲求は別のものだと考えてよいでしょう。同じように、他者から好かれたいと思っている人は相手をほめたり、相手の意見に同調したりします。しかし、他者から尊敬されたい人は、自分の能力を誇示しようとするのです。

これらの研究は、単に好かれたいという親和動機とは別に、他者から尊敬されたいという地位動機があることを示しています。

権力を欲する心

アンダーソンらのまとめ論文を見ると、地位動機をもっていることは健全なことのように思われます。ところが、この点で研究者の見解は必ずしも一致していません。

世の中には、自分のほしいものを手に入れるために他者を支配したいと思う人がいます。このような願望の強い人のことを心理学では支配傾向の高い人といいます。別の言い方をしているけれど、支配傾向というのは地位動機が高いことだと思われるかもしれません。アンダーソンらは地位と権力は別だといっていたけれど、なんだかんだいって、高い地位につくことは権力を手にして、他の人たちを支配することではないのかというわけです。

ところが、地位動機は幸福感や健康と関わっていたのに、支配傾向はむしろ精神疾患と関わっています(4)。支配傾向についての多くの研究を整理した臨床心理学者のシェリ・ジョンソンらは、支配傾向が非行や暴力といった精神的な問題の外在化、自己愛性パーソナリティ障害、双極性障害のそう状態に関係していると指摘しています。

ジョンソンらが注目したのは、高い地位についているかどうかであり、アンダーソンらが着目したのは高い地位につきたいという気持ちがどれくらい強いかということでした。これは見た目より大きな違いです。たとえば、おいしいものを食べたら幸せな気分になりますが、おいしいものを食べたいという欲求が強い人が必ずしも幸せな人ではないのと同じです。ですが、高い地位につくことと支配傾向の間にはもっと深い溝がありそうです。

アンダーソンらは、地位が高いとは他者から尊敬されていることだと定義しました。一方、ジョンソンらが調べた支配傾向は他者を意のままに操りたいという気持ちですが、このような願望の強い人は尊敬に値する人でしょうか? おそらく答えはノーです。第1回の記事で、狩猟採集民の社会では、あまりにも専制的なリーダーはみなから嫌われて、場合によっては暗殺されることさえあると書いていたことを思い出してください。

じつは支配傾向は英語ではtrait dominance(文字通りに訳すと「特性としての支配性」といった意味になります)といいます。ここで使われているdominanceという言葉に見覚えはありませんか? 動物の社会の順位制を英語でdominance hierarchyというのでした。同じ単語を使っているのは偶然ではないかもしれません。支配傾向が高い人というのは、動物が高い順位につくときと同じように力で相手をねじふせようとする傾向をもっているようです。

ヒトの社会では力だけでトップに立とうとすることはできないというのが、第1回の記事で私たちが学んだことでした。


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